神の子リスト

神の子リスト

 

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。(ヨハネ1;12)

 

それで、兄弟たち、わたしたちには1つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、 肉に対する義務ではありません。 肉に従って生きるなら、あなた方は死にます。しかし、霊によって 体の仕業を絶つならば、 あなたがたは生きます。 神の霊によって 導かれる者は皆、神の子なのです。 あなたがたは、 人を奴隷として再び 恐れに陥れる霊ではなく、 神の子とする霊を受けたのです。 この霊によってわたしたちは、「アッバ、 父よ」 と呼ぶのです。この霊こそは、 わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。(ローマ8:12~16)

 

また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「 イサクから生まれる者が、 あなたの子孫と呼ばれる。」すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫とみなされるのです。(ローマ9:7、8)

 

口でイエスは主であると、公に言い表し、心で、神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて、義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 聖書にも、「主を信じる者は、 だれも失望することがない」と書いてあります。 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、 御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。「 主の名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 (ローマ10: 9~13)

 

あなたがたは皆、 信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 洗礼を受けて キリストに結ばれてあなたがたは皆、 キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、 男も女もありません。あなたがたは皆、 キリスト・イエスにおいて 1つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、 とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。(ガラテヤ3:26~29)

 

しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、 しかも律法の下に生まれたものとしてお遣わしになりました。 それは、律法の支配下にあるものを贖い出して、 わたしたちを神の子となさるためでした。 あなたがたが子であることは、 神が、「 アッバ、 父よ」 と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。 (ガラテヤ4:4~7)

 

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、 ほめたたええられますように。 神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 天地創造の前に、神は私たちを愛して、ご自分の前で聖なる者、 汚れのない者にしようと、 キリストにおいてお選びになりました。イエスキリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 わたしたちはこの御子において、 その血によって贖われ、罪を赦されました。 これは、神の豊かな恵みによるものです。(エフェソ1:3~7)

 

ついには、わたしたちは皆、 神の子に対する信仰と知識において1つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長するのです。(エフソ4: 13)

 

だから、私の愛する人たち、いつも従順であったように、私が共にいる時だけでなく、いない今はなおさら従順でいて、 おののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 あなた方の内に働いて、 御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、咎められるところのない清いものとなり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、 世にあって星のように輝き、 命の言葉をしっかり保つでしょう。(フィリピ2:12~16a)

 

御父がどれほど私たちを愛してくださるか、考えなさい。それは、私たちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。 世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 愛する者たち、わたしたちは、 今既に神の子ですが、 自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、 御子に似たものとなると言うことを知っています。 なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、 御子が清いように、自分を清めます。 (一 ヨハネ3:1~3)